皆さんこんにちは、 ヨーロッパ各地を訪れダイエットスイーツ研究家として日々活動中のパティシエさやココです。
今回はお菓子ではなく、幼少期に祖母と通っていた日本舞踊について書き留めておきたいと思います。
どうぞ、お付き合いください。
こちらの記事は、日本舞踊の経験は人生の宝物①〜祖母について行ったお稽古場に美味しそうなお茶菓子が〜の続編です。
まだ①を読んでいない方は、先に①を読んでいただくと、こちらの記事が分かりやすくなるかと思います。
初舞台、家元が私の手のひらに「おまじない」
私の初舞台は小学2年生の時でした。
演じた曲は「京人形」です。
発表会前のお稽古の練習の記憶は無いのですが、本番舞台での記憶は鮮明に覚えています。
初舞台、8歳の私は不安に押しつぶされそうになった
発表会の時のお化粧は、いつも家元の2代目(女の先生)がしてくれました。
顔、首、手におしろい、赤い口紅とお化粧を終えたら、着物に着替えます。
本番用の着物は練習の時と違い、帯もきつく、とても息苦しかったのを覚えています。
祖母に「気持ち悪い」と言った記憶がありますね。
本番が近づき、家元が私の手のひらにそっと「おまじない」をしてくれた
もうすぐ私の踊りの番。祖母に連れられ、舞台裏にスタンバイします。
着物の帯に締め付けられ息苦しさ、気持ち悪さ、そして不安で涙目です。笑顔もなかったと思います。(小学高学年の時は一つの舞台で、3曲踊るなどかなり余裕がでてきます)
そんなとき、家元(男の先生)が私のところに来てくれました。
そして私の手のひらに「おまじない」をしてくれたんです。
人という字を3回書いて飲み込むというおまじないです。
このおまじないは、手のひらに人と書いて飲み込むことで、大勢のひと前に出たときに、その大勢の人に飲まれないようにするという意味があります。
「よしっこれで大丈夫」と家元が一言。
不思議なことに、さっきまでの気持ち悪さや息苦しさが全く感じなくなりました。
いよいよ、私の番です。
私の前に踊り終た方が舞台裏に入り私に「さやかちゃん、がんばってね」と声をかけてくれました。
一度舞台が暗くなり私は舞台の真ん中にスタンバイします。
その間に司会の方が私のことを紹介するのですが、
「小学2年生の可愛らしいさやかちゃん、みなさま温かい拍手でお迎えください」
こんな感じだったかと思います。
そして照明がパッと明るくなり、音楽がかかりました。
観客席から「わー可愛らしい」などの温かい声が聞こえてきました。
私が所属する日本舞踊の会では子供が私だけでしたので、注目の的でした(笑)
照明の眩しさで、観客席の顔はほとんど見えなかったので緊張は少しほぐれた気がします。
順調に踊っていたその時、一瞬振り付けを忘れてしまったのです。
でも、とっさに手が動き自分の振り付けでその場を凌ぎました。
本当にとっさに手が動いたんです。
踊りが終わると、観客席から「よっ!さやか!」と大きな声とともに沢山の拍手をいただきました。
舞台裏に下がると、家元がぎゅっと私を抱きしめてくれました。
私が家元に「途中、振り付けを忘れてしまいました」と言ったら、家元は私が振り付けを忘れていたことに気づいていませんでした。
きっと私が無事に踊り終わることだけを祈っていたのかもしれません。
これが、私の初舞台です。
振り付けを忘れても棒立ちせず、踊りきれたことが今後の日本舞踊の自信に繋がっていきます。
次回につづきます。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。
※現在仕事の出張で写真が無いので戻りましたら写真も載せたいと思います♪
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